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2020.09.04

【恒石 直和】未払賃金の時効延長

今年の4月1日から、民法改正(いわゆる債権法改正)が施行され、話題になっています。
非常に大がかりな改正で、実務上注意が必要です。

が、

同時に未払賃金支払請求権の時効の改正という、非常にインパクトの大きい法改正がなされています。
これ、一番影響を受けるのは、間違いなく未払賃金の中でも未払残業代の請求です。
あくまでも個人的な印象ですが、使用者側から見ますと、これまでも未払賃金の支払いは、特に中小企業にとって、認識の齟齬や準備不足等にも起因し、大きな負担とリスクといってよい状況にありました(逆に被用者側から見れば、それだけ本来もらうべきものをもらえていない可能性があり、注意すべき状況にありました。また、明らかに支払うべき残業代があるのに無視をしているような事態が正当化されうる余地が無いことは当然です。)。
これが、イメージとしては、差し当たり1.5倍、ゆくゆくは2.5倍になりうる、と言っても過言ではない改正がなされたことになります。

従前、労働基準法第115条は次のように定めていました。
「この法律の規定による賃金(退職手当を除く。)、災害補償その他の請求権は二年間、この法律の規定による退職手当の請求権は五年間行わない場合においては、時効によって消滅する。」
したがって、未払残業代を請求されても、2年以上前のものについては時効消滅の主張が可能でした。

しかしながら、今般、

・「(退職手当を除く。)、災害補償その他の請求権は二年間」を「の請求権はこれを行使することができるときから五年間」に
・「退職手当の請求権は五年間」を「災害補償その他の請求権(賃金の請求権を除く。)はこれを行使することができるときから二年間」に
改める。

旨の改正がなされました。
その結果、上記の労働基準法第115条は
「この法律の規定による賃金の請求権はこれを行使することができるときから五年間、この法律の規定による災害補償その他の請求権(賃金の請求権を除く。)はこれを行使することができるときから二年間行わない場合においては、時効によって消滅する。」
となりました。
したがって、未払残業代を請求された場合、過去5年までさかのぼって支払を請求されうることとなりました(なお、これに伴い、関連する重要な記録の保存期間も伸長されています。)。

ただ、突然2年を5年とするとあまりにも影響が大きすぎるので、「当分の間」、5年は3年とすることとされています(記録の保存も同様です)。
また、改正法の適用対象は改正法施行後に履行期(支払時期)が到来したもの(要するに令和2年4月1日以降支払の賃金)についてですので、例えば、今未払残業代請求がなされたとして、3年前のものまで時効の主張が許されない、ということはありません。

さてこの改正、審議会(分科会)における議論の段階において、かなり先鋭な意見の対立がありました(例えば2019年12月24日 第157回労働政策審議会労働条件分科会 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_09248.html )。

特に使用者側委員は、上記分科会においておおよそ以下のような主張をしていました(上記URL参照)。

・労基法は刑罰法規であり、賃金債権には特殊性がある。企業が置かれている様々な事情を考えると、民法改正と連動して改正する必要はなく、2年間の消滅時効を維持すべき。
・賃金債権は労働の指示があったか否かが後で紛争となりやすく、過去の事実を裁判上で立証するために相当な証拠保全が必要となる。また、保全しようとしても、組織の再編や本人の退職などによって、当時の上司から話を聞くことが難しいケースも出てくる。その他、就労の多様化などに伴い、今後ますます労働時間性の有無や労働者性の有無について、多様な紛争が発生し得ることも鑑みれば、早期の権利義務関係の明確化(すなわち2年という短期の消滅時効期間を前提に解決をすること)は非常に重要である。
・中小企業の多くがいまだ紙ベースで管理を行っており、データ化のための人員確保やサーバの確保は負担(時効期間の伸長に伴い記録の保存期間の伸長を強いるのは酷である)。
・仮に改正するとしても、消滅時効期間を適用する労働契約締結日基準が素直な考え方だ(改正法を、本年4月1日より前の労働契約に適用すべきではない。)。

特に2点目などは、労務管理の現場における本音がにじみ出ているようにも思われます。

しかしながら、使用者側と被用者側の意見対立があまりにも鋭いので、公益委員(学者出身の委員。上記分科会は、企業側委員、労働者側委員、学者出身の公益委員により構成されていました。)が個別に意見を聴取した上で、以下のように述べ、今回の法改正と同内容の提案をし、労使双方これを受け容れました。

すなわち、
「賃金請求権は労働者にとって重要な債権であり、それが故に労働者保護を目的とする労基法において各種の保護規制が設けられている。現行の2年の消滅時効期間についても、民法の短期消滅時効の1年では労働者保護に欠ける等の観点から定められたものであり、今回の見直しにおいてはそうした点も踏まえて検討する必要がある。」
「一方、労基法上の消滅時効関連規定が労使関係における早期の法的安定性の確保、紛争の早期解決・将来的な紛争の防止の機能を果たしてきたことや、大量かつ定期的に発生するといった賃金請求権の特殊性を踏まえると、民法一部改正法とは異なる取扱いをすることも理論的には考えられる。」
「しかしながら、そもそも今回の民法一部改正法により短期消滅時効が廃止されたことが労基法上の消滅時効期間等の在り方を検討する契機であり、また、退職後に未払賃金を請求する労働者の権利保護の必要性等も総合的に勘案する。」。

こうしてみますと、文言上は使用者側の主張にも配慮は示しています(そして急に5年にするのはあまりにも影響が大きいから当面3年としています。)が、実質的(結論的)には、使用者側の論拠は概ね排斥されてしまっていると言ってよいように思われます。

良い・悪い、賛成・反対はあろうかと思いますが、実務においては、それはさておき対応せざるを得ません。現実としては、上述したような使用者側の事情というのはなかなか考慮されず、労働者にとっての賃金の重要性、労働における本質性に鑑み、厳格・丁寧な対応・準備を、証拠となるべき資料の保存が求められているといっていいでしょう。

特に使用者側である企業様の御相談を受けていると、うちはフレックスだから、予め定額の残業代を支払っているから、残業は認めていないから、等々のご事情があるものの、裁判を想定した場合、残念ながら必ずしも十分とはいえない状況と申し上げざるを得ないケースが多々あります。
払わなければならないのは分かっていたのだけれどなかなか・・・、といった程度であれば、社長それは払いましょう…(^^;、と申し上げざるを得ませんが、上記のような事情があるにも関わらず、もう少しの準備・手間が無かったがために認められない、というのはぜひとも避けたいところです。

万全の対策というのは、特に中小企業にとって容易ではありませんが、分科会における経緯とその結論ともいうべき改正法を見ますと、今一度、労務管理の在り方の見直しが求められているように思われます。
以上